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富岡製糸場 女工哀史はフィクションだった! [世界遺産]

さてさて、群馬県の富岡製糸場が世界遺産に決定しましたね~^^<

富岡製糸場といえば、山本茂実の「ああ野麦峠」に代表される
糸引き女工の悲話を連想させますが!


貧困にあえぐ飛騨の農家の若い娘たちは、家計を助けるために、
製紙工場に売られるようにして信州へ糸引き稼ぎに行ったと言う
哀史だと語り継がれていますよね。


製紙女工.jpg


故郷に帰る途中雪の深い野麦峠で、凍死する娘たちが何人もいた
と言う事ですが、そんな話を聞くたびに、当時の貧困した農家の
人達の苦悩が切ないですよね。



ところが、富岡製糸場 女工哀史はフィクションだった!


そんな話もあることを知っていました?


富岡製糸場はフランス人が養蚕の盛んな群県富岡市に製紙工場
建設したと言う事です。


製紙工場の完成後は、全国から女性工員が400名も集まった
そうです。


そして女性工員の待遇ですが、職場環境も良く労働時間は1日
約8時間で、週休が1日あり、盆や正月は10日間の休みが
あったそうです。


工賃は、一等女工が25円 二等女工が18円 三等女工が12円
それ以外は、9円 月給制だったみたいですね。
それに、寮費や食事代は別だったそうで、まるまる自分の収入に
なったと言われています。


当時の公務員の初任給が8~9円だったと言う事ですから
如何に破格の待遇だったか想像がつきます。



糸引き女工は一方で、悲話、哀話で語り続けられ、また一方では
日本産業の女性進出の先駆けだったと言われたり、一体どっち何だ
と言いたくなりますが、真実はどっちなんでしょうか?


全国に製糸場に富岡の女工経験者が、その技術を伝えていった
ということですので、日本の産業の革新に一役かった事に
間違いはないようですね(^^ゞ



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